【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

未知なる深海へ 高井 研 =025=

2018-04-29 06:07:16 | 浪漫紀行・漫遊之譜

〇◎ 私が知りたいのは、地球の生命の限界です” ◎〇

= 海洋研究開発機構(JAMSTEC)及びナショナルジオグラフィック記載文より転載・補講 =

 青春を深海に掛けて=高井研=  

  第二話 JAMSTECへの道・前編   

◇◆ その2 深海か、毒か =2/2= ◆◇ 

(解説始まり)

沸騰するお湯のなかで卵を10分ぐらい置いておくと、見事なまでのハードボイルド卵になるのは皆さんご存じだと思います。あれは卵のタンパク質が熱で変成するから固くなるわけです。鶏はボクらと同じ気温のなかで生きている動物なので、鶏の体やその卵のタンパク質は通常生活している温度=常温(20-40℃)で適正なプルンプルンしたカタチを保ってちゃんと働くようにできています。しかし、100℃のお湯では、高温のせいでプルンプルンしたカタチが壊れてグシャグシャと縮こまって、カッチカッチのゆで卵になるわけですね。

これが普通の生物のタンパク質のバアイ。
ところが超好熱菌というのは、80℃以上の高温で、一番活発に活動する微生物であり、なかには100℃を超えないと「チョー寒いから寝る」とピクリとも活動しない菌までいるんです。こういう菌のタンパク質は当然、100℃以上でないとカチカチに凍ったような状態です。だから、超好熱菌の細胞はほぼすべて、やたら高温に強いタンパク質でできているんですね。

だから何? と言われると困っちゃうんですが、まあ、科学者というウザイぐらい好奇心だけは研ぎ澄まされている人種は、そこにめちゃくちゃ興味を持ってしまうモノなのです。

鶏の卵のタンパク質だろうが、超好熱菌のタンパク質だろうが、材料は20種類のアミノ酸で、それが順番に繋がっているだけ。なのに、一方は100℃でもはや全く機能を失った変性タンパク質。一方は「100℃サイコーだぜ。バリバリ」と機能しまくり。
アミノ酸を繋ぐ順番だけでここまで差がつくなら、「ムフフフ、もしそれを理解すれば、自分だけのお好みのタンパク質が創れちゃうんじゃないの」とある種の人たちがニヤニヤ考えてしまうのは、皆さんもあながちすんなり、理解していただけるのではないかと。

またそんなに高温でも丈夫で長持ちするなら、それをうまく使えば「カネも地位もオンナもクスリも思うがままよ」とうっかり狸の皮算用しちゃう粗忽者が現れてもおかしくはないです。勿論このセリフは「ポリメラーゼ連鎖反応 (PCR) 法の開発によって1993年にノーベル化学賞を受賞」したキャリー・マリスという化学者を指して言っているんですがね・・・・・・。

この化学者の破天荒ぶりは『マリス博士の奇想天外な人生』(キャリー・マリス著、福岡伸一翻訳、早川書房)に詳しいのでぜひ一読をオススメしますが、このPCR法の開発のキモになったのが、好熱菌や超好熱菌の高温で壊れずにバリバリ働くDNAポリメラーゼというタンパク質だったのです。

(解説終わり)

どこからか謎の天才科学者が解説に現れたが、そんな風に、超好熱菌の研究というのは、「生命の起源や太古の生命」といった面からだけでなくて、生化学やその応用面、もちろん分子生物学的な意味からも、結構いろいろ興味を集めている研究対象でもあったんだ。

22歳の夏を迎えていたボクも、実は最初に心に刻み込んだ「生命の起源や太古の生命」というキーワードを忘れたことはなかったが、超好熱菌の研究の拡がりを知るうちに、誰も見つけたことのない世界最高温度で生きる超好熱菌を見つけて、そいつのタンパク質がなぜ高温で働くかということを明らかにしたい。そんな気持ちで研究にのめり込み始めていた。

そんなある日、左子先生が「タカイ君、朗報やで」と、ある学術集会の情報を教えてくれた。近々やってくる8月に、ボクの中では正体不明の研究所、JAMSTECで深海熱水や深海底の微生物に関する国際ワークショップが開かれるというのだ。案内をよく見るとボクの憧れのカール・シュッテッターや大島泰郎といった超好熱菌研究の超大物がいるではないか。その他にも世界的に有名な微生物学者が勢揃いだった。スゲェなー、JAMSTEC。左子先生もそのワークショップに招待されていたのだった。

「あそこは読売ジャイアンツみたいな金満球団だからな」
左子先生はイヤミを一つ言ってニヤッと笑った。

そして、その招待講演者の中に留学希望先であったワシントン大学海洋学部のジョン・バロスの名前もあった。左子先生は言った。
「この集まりで、ジョン・バロスと直接話をして、留学の件まとめてしまおう」

そんなワケで、ボクははじめて正体不明の研究所、JAMSTECに行くことになった。ボクは、そのJAMSTEC訪問の旅のことを今でもハッキリ覚えている。それは、ボクが初めて、研究者としての自分を、日本を、そして世界を、強烈に意識したきっかけになった出来事だったからだ。あの、とても暑かった夏の日のことを。

=有人潜水調査艇・しんかい6500=

「しんかい6500」のこれまでの潜航回数は、1,500回を超え(2017年6月現在)、日本周辺はもちろん、世界の海洋で熱水噴出域、大地震震源海域などの潜航調査を実施し、高い成果を上げてきました。

2016年2月

大西洋の深海で世界最深の鯨骨生物群集を発見:化学合成生物群集の分散と進化の謎を解く鍵
~「しんかい6500」世界周航研究航海の成果~

2013年5月

南大西洋ブラジル沖リオグランデ海膨の海底にて大陸の痕跡と思われる花崗岩を確認

2013年1月-12月

有人潜水調査船「しんかい6500」世界周航研究航海「QUELLE2013」を実施
>>「QUELLE2013」特設サイト

2011年8月

東北地方太平洋沖地震震源海域に大きな亀裂を確認
(「しんかい6500」が撮影した海底の亀裂の映像)

2009年11月

深海の奇妙な巻貝・スケーリーフットの大群集を発見

2007年1月

沖縄トラフ深海底において新たな熱水噴出現象「ブルースモーカー」を発見

2006年8月

沖縄トラフ深海底下において液体二酸化炭素プールを発見

2004年7-9月

南東太平洋大航海「NIRAI KANAI」を実施

2003年3月

毛利宇宙飛行士、南西諸島にて潜航調査(第733回潜航)

2002年10月

インドネシア大統領メガワティ氏訪船

1998年11月

南西インド洋海嶺にて新種の巨大イカを発見

1998年

大西洋中央海嶺と南西インド洋海嶺他にて調査潜航(MODE'98)を実施
→インド洋で有人潜水船として初めて潜航を行った
リスボン海洋博に参加

1997年6月

三陸沖日本海溝にて多毛類生物を発見

1994年

大西洋中央海嶺と東太平洋海膨にて調査潜航(MODE'94)を実施

1992年10月

伊豆・小笠原の鳥島沖にて鯨骨生物群集を発見

1991年7月

三陸沖日本海溝にてナギナタシロウリガイを発見

1991年7月

三陸沖日本海溝海側斜面にて海底の裂け目を発見(6,366m)

1991年

調査潜航開始

・・・・つづく・・・

動画 : JAMSTEC2016

https://youtu.be/vewMo0etN9E

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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